日刊鹿島アントラーズニュース

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2018年3月4日日曜日

◆土居聖真「ボールを持つのが 怖くなるほど、鹿島はミスに厳しかった」(Sportiva)




遺伝子 ~鹿島アントラーズ 絶対勝利の哲学~(2) 
土居聖真 後編

◆新連載・アントラーズ「常勝の遺伝子」。 生え抜き土居聖真は見てきた(Sportiva)

 2018年2月25日、清水エスパルス相手に0-0という結果で、鹿島アントラーズのリーグが開幕した。開始から自陣に押し込まれる時間が長く続く。その理由を「気持ち」だと大岩剛監督は話した。ホーム開幕戦で上位チームを叩きたい、そんな相手の勢いを「受けて」しまったのだ。挽回しようにもミスが多くてできない。

「ミスをしてしまうと、どうしても自分たちの陣地でごちゃごちゃする回数が多くなる。前半、(クォン・)スンテがPKを止めて助けてくれたけど、0-0で終えられたというのは、まあ、よかった。前半に関していえば、首の皮がつながった感じがあるよね。もっと上下動できれば、プレーで示すこともできるんだけどね」

 8季ぶりにJリーグ公式戦に出場した内田篤人はそう振り返った。自身のコンディションを考えることは、同時にチームについて考えることになるのだろう。その表情は硬い。それは内田に限らない。監督もそうだし、三竿健斗も同様だ。ロッカールームから姿を見せる選手は、やりきれないといった顔をしている。

「今の選手には経験が足りない。それを積む時間は必要だし、少しずつかもしれないけど、前進していると思うよ」

 中田浩二C.R.O(クラブ・リレーションズ・オフィサー)が以前、そのように語っていた。

 勝ちながら、選手を育て世代交代し、そして、また勝ち続ける。その過程に型にはまったマニュアルも法則もない。チームを構成する選手それぞれが、自分の立場で奮闘し、悔やみ、学び、考え、改善していくしかない。経験を積み学ぼうとする若手も、それを支えようと思うベテランも同じだ。そして、中堅と呼ばれる層の選手たちもまた、自分を鼓舞し、自身やチームの成長を促そうともがいているのだ。 

 *    *    *


 リーグ3連覇(2007~09)というトップチームの偉業をユースの一員として見ていた土居聖真。次々とプロのステージで活躍する同世代(プラチナ世代)の存在に焦りを感じながら、2011 年、近くて遠かったチームに昇格する。同期は柴崎岳(ヘタフェ)、昌子源、梅鉢貴秀(金沢)の3選手だった。

――7年前、念願のトップ昇格が叶いました。

「でも、シーズン前の宮崎キャンプでケガをしたんです。(キャンプは)キツい部分もあったし、守備はできないけど、ボールを持ったら、結構やれるなという感覚があって、すごく楽しかった。だから、張り切りすぎて、すぐに肉離れを起こしてしまった。プチって音は聞こえたし、腿裏に血が広がるような感じがあるのに、『大丈夫です。ちょっと筋肉痛です』とか言って、プレーを続行しようとしたけど、まともに歩けない。スタッフに止められました。

 みんなが練習している間、治療しなくちゃいけない。『俺はなにやってんだ』と落ち込んだし、やっぱり焦りました。それで2週間くらいして、練習に復帰して、また悪化するという……。でも、本当に夢でしたから、トップで練習するのは。だから、嘘をついてでもやりたかったんですよね」

――トップの練習はどうでしたか?

「当時は、試合に出ているグループとサブ組との差が開いていた時期でした。でも、試合に出ていない、絡んでいない先輩たちの必死さが本当にすごくて。ポゼッションゲームをやっていても、ずっとスタメン組にボールを持たれるんです。サブ組はなかなか奪えない。それでやっと奪ったボールをミスすると、めちゃくちゃ怒られましたね。とにかくミスを許してくれない。それが鹿島だなって思いました。

 選手も指導者もミスに厳しい。あらゆるミスを指摘されるので。怖かったですよ、ボールを触るのが。だからといって、ボールを獲りにいかなかったら、また怒られる。ボールが来ても、すぐに寄せられて奪われてしまう。でも、苦しかったけれど、楽しさもあったんです」




――というのは?

「楽しいというか、野沢(拓也/ウーロンゴン・ウルブス)さんやモト(本山雅志/北九州)さんのプレーを間近で見ていると、驚きの連続なんです。そうやって崩すのか? そんな崩し方があるのか? こういうトラップがあるのか? ヘディング、シュート、身体の使い方……とにかく、僕の想像を上回るプレーをするんです。自分のサッカー観のなかにまったくないプレーを目の当たりにできるんです」

――でも、そういう先輩に勝たないと試合には出られない。一方で、同期の柴崎岳選手は半年ほどでトップチームに絡んでいました。

「もちろん、岳の存在はプラスアルファという部分での刺激にはなりました。でも、基本的には、他人がどうこうじゃなくて、自分を高めたいという気持ちだけでした、自分しか見ていなかった。目の前に先輩がいて、まずは紅白戦のメンバーに入ること、そうやって段階を踏まなくちゃいけない。そういう意味では毎日がセレクションというような気持ちでしたね。

 だけど、練習でできたことが、試合ではできないんです。控え選手のための練習試合だというのに。何でできないんだろうって。自分自身でもがき、答えを探すような時間が続きました」

――1年目の終盤にリーグ戦で初出場を果たし、2013年に初ゴール。2014年以降になって先発試合も増えましたが、決して短い時間でもなかったと思います。その思い悩んだ時間がもたらしたものは何でしょうか?

「いいときも悪いときも経験し、あらゆる感情を味わい、それを乗り越えてきたので、どこへ行ってもやれる自信が今はあります。もちろん、これからも苦しいときが来ると思うけれど、何が来ても対応できる自信が、この年齢になってありますね」

――ずっと追いかけてきた野沢選手が2014年に、本山選手が2016年に移籍し、今では”追いかけられる”存在になりましたが……。

「試合に出る、監督に使われるという意味では、ふたりを上回ったこともありました。でも、巧さという意味では上回っていない。ふたりの足元に触れられるくらいになったかなと思ったところで、移籍してしまったので。ここ数年は誰かに引っ張ってもらうんじゃなくて、自分自身で、成長を促していかなくちゃいけないと意識しています。そういうなかで、追加招集だけど、日本代表に呼ばれて、試合に出られたことは刺激になりました」

――ワールドカップ出場への現実味も生まれたんじゃないでしょうか? メンバー入りにはゴール量産がアピールになりますか?

「まあ、ゴールはわかりやすいアピールではありますよね。でも、柳沢(敦)コーチにいつも言われるのは『ゴールを獲るだけがFWじゃない』ということ。点を獲る以外のプレーの質をすごく要求されます。そこは、僕のプレースタイルにも合うので、感謝しています。

 鹿島は誰かひとりが得点を量産するというよりも、誰もが得点を決められるクラブだと思うんです。だから、得点も狙いますけど、それ以外のクオリティも追求し続けたい」

――鹿島アントラーズらしさとは何でしょうか?

「やっぱり”勝利”だと思います。たとえば、パスサッカーが好きな人なら『今日はいい崩しがあったな』という満足感があるだろうし、それでいいと思う。でも、うちのファンは内容以上に勝利を求めている。そこを何倍も強く要求されているクラブだと思います。

 もちろん選手は内容の改善を常に考えているから、勝っただけで満足しているわけじゃない。でも、どんなときも大前提が勝つこと。まずは勝利なんです」

――土居選手は茨城出身ではない生え抜き選手です。

「代表から戻ってきたときに、『(GKを除く)フィールドプレーヤーで、代表で先発起用された初めての(生え抜き)選手だ』と(鈴木)満(強化部長)さんに言ってもらえたんです。そのときに、歴史を作っているんだと感じました。しかも僕は茨城県ではなく、山形から来た選手。そういう意味で全国の子どもたちから、『土居選手みたいに、鹿島のユースへ行ってプロになる』と言われるようになれたらなって、最近密かに考えています」

(つづく)


土居聖真「ボールを持つのが怖くなるほど、鹿島はミスに厳しかった」

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