日刊鹿島アントラーズニュース

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2018年1月13日土曜日

◆アントラーズ復帰の内田篤人が言う 「日本に戻るのは俺が最初」の意味(Sportiva)



 1月9日、鹿島アントラーズの新シーズンがスタートした。同時に、内田篤人の新たな一歩も始まった。ドイツでの7年半の生活を終えて日本へ。ウニオン・ベルリンからの発表では「ホームへ戻る」と表現されていたが、文字通り古巣への帰還である。だが、それは単なる復帰劇ではない。新たな勝負の始まりだという決意と覚悟を固めての再スタートだ。

 その日、内田は練習場に、同期入団の遠藤康、そして尊敬してやまない小笠原満男と軽く談笑しながら現れた。練習が始まると、ストレッチや体幹トレーニング、ジョギングなどフィジカルコンディションを整えるメニューを黙々とこなしていく。出場した試合数が少なく筋力がまだついていないためか、圧倒的に他の選手よりも細いのが少し気になるが、真剣な表情でベーシックなメニューと向き合っていた。

 2010年以降、多くの日本人選手が、ドイツをはじめ欧州各地に散らばって戦いの場を求めた。その中でもトップクラスの実績を誇る内田が日本に戻るということの意味は、そんな練習風景にも垣間見ることができた。練習がいったん始まれば、練習に集中する。そこには会話も笑顔も必要ない、ということだ。

 鹿島は名実ともにJリーグのトップクラブであり、小笠原というチームを引き締める存在もいる。それでもなお、まだ仲良し集団に見えるところがある。内田は練習後の取材エリアで「ドイツでは練習が始まればあんまり喋らないというか、集中するというか……」と説明する。

 別に内田は排他的でも、過度に競争を好むタイプでもなく、いたってフレンドリーな人間だ。そんな内田がいかに勝負の厳しさをこのような細部からチームに落とし込むことができるか。それもひとつの役割になるかもしれない。

 日本に帰国した直後、内田は「あの頃(2010年ごろ)ヨーロッパに行った選手の中で、日本に戻るのは俺が最初だよね?」と、ボソッと言ったことがある。もちろん、もっと短期間の在籍で日本に帰国する選手も多くいたが、チャンピオンズリーグに出場するクラスのチームで活躍をした香川真司、岡崎慎司、長友佑都、本田圭佑らの中でいえば、確かに最初のJ復帰選手だろう。

 そこには忸怩(じくじ)たる思いが込められているのか、ただ事実を確認しているだけなのか、わからない。ただし、約3年間ほとんどプレーしておらず、その末の帰国。容易ならざる思いがあってもおかしくない。内田を見続けている人間としては一抹の寂しさは感じるが、本人の中では自分には何ができるか、日本で何を示していけるのかというある種のチャレンジでもあるのだろう。

 翌10日には、鹿島アントラーズで盛大な入団会見が行なわれた。他の新入団選手や移籍組と横並びになり、第一声は「ベルリンから来ました内田篤人です」。他の選手が出身校や前所属チームを名乗って自己紹介をする中で、内田だけがウニオン・ベルリンではなくベルリンと、地名をつけたのが印象に残った。

 内田にとってウニオンでの5カ月間は決して明るいだけのものではなかった。シャルケ時代の監督イエンス・ケラーを頼ったものの、先発奪回はそう簡単ではなく、チャンスの直前になるとケガをするというサイクルから抜け出し切れなかった。

 一方でベルリンでの生活は楽しいものだった。シャルケ時代に過ごしたゲルゼンキルヘンやデュッセルドルフでは感じられない歴史やカルチャーの街に暮らすこと自体を楽しんでいた。取材中に川島永嗣から電話がかかってきて、「ベルリン、すごくいいよ。遊びに来ないと帰っちゃうけど!」と、強く薦めていたのを思い出した。

 いずれにせよ、これで内田は鹿島アントラーズの一員となった。練習や記者会見の表情からは、これから新たな勝負が始まるのだと気を引き締めていることがうかがえた。鹿島を優勝させ、自身は代表に復帰して3度目のワールドカップへ。内田は本気で走り出そうとしている。


アントラーズ復帰の内田篤人が言う「日本に戻るのは俺が最初」の意味


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